館外展示 『ポスト織部の時代』
安土桃山時代から江戸時代初頭、元屋敷窯を中心とする美濃窯では、畿内での茶の湯の流行を受け黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部といった美濃桃山茶陶が多数生産されていました。その後、慶長年間(1596-1615)の末年から元和年間(1615-1624)に入ると、織部には形状や大きさ、施釉法などに変化が現れ始めます。そして元和年間の末年から寛永年間(1624-1644)には、「御深井」や「白釉」と呼ばれる、織部とは異なる新しいスタイルの焼物が生産されるようになります。
御深井は中国の青磁などを、白釉は中国や肥前(九州)の染付を意識した焼物です。ちょうどこの時期は、大坂夏の陣(1615年)が終わり豊臣氏が滅亡し、徳川幕府が武家諸法度元和令(1615年)や禁中並公家諸法度(1615年)、寺院法度(1601-1616)、参勤交代(1635年)などの統制令を定め全国支配を強化した時代でもありました。また、茶陶の流行に影響を与えたであろう天下一の茶人が、古田織部(1543-1615)から小堀遠州(1579-1647)に交替した時期でもあります。こうした時代の大きな変革期に、焼物の好みも変化し、その需要に応じる形でこれらの焼物が生産されるようになりました。
今回の展示では、織部以降に生産された焼物の時代を「ポスト織部の時代」と称し、その時代に生産された焼物の特徴と時代背景を紹介します。
※土岐市美濃陶磁歴史館は、新博物館へ建て替えのため休館中です。本展覧会は休館中の館外展示として開催します。