明治・西浦焼の世界 2024
本展覧会は国内では作品がほとんど残されておらず、幻のやきものとなった西浦焼を多治見市内で継続的に観覧できるよう企画しました。
明治時代、西浦焼は一つのブランドとして多くは欧米向けの輸出品として販売されました。「西浦焼」とは土岐郡多治見町(現多治見市)を中心に、明治初期より三代から五代西浦圓治のもとで製作されたやきもののことをいいます。
今回西浦焼とあわせてご紹介するアメリカのルックウッドポタリー社は明治13(1880)年にアメリカ・オハイオ州シンシナティ市で設立され、美術陶器を製作していた製陶所です。
19世紀後半のアメリカでは、南北戦争後の経済発展を背景に各地で都市文化が栄えます。市場がアメリカで拡大するなか、万国博覧会を契機としてジャポニスムと呼ばれる日本趣味が欧米で流行しました。そのため、アメリカ国内でもヨーロッパや東洋にみるような芸術的な陶磁器を製作するようになります。
ルックウッド製陶所の創始者M.L.ニコルズ夫人は明治9(1876)年にフィラデルフィア万国博覧会の会場において、日本の精緻なやきものを見たことをきっかけに設立を決意しました。日本の自然主義的なモチーフおよび文様は、ニコルズ夫人に新鮮な驚きと感銘を与えたのです。こうして誕生したルックウッド製陶所は、設立からわずか数年で万国博覧会において金賞を獲得し、世界から注目をあびる名窯となります。明治20(1887)年からは金沢出身の白山谷喜太郎が雇われ、ルックウッドを代表する絵師として活躍しています。
本展では明治時代に作られた西浦焼・釉下彩の作品を中心に、同時代に流行をリードしていたアメリカのルックウッド製陶所との関わりにも触れ、日本とアメリカの相互的な影響を探ります。